まいくのブログ

経営学部の大学生の脳内

【受験のリアル】医学の道を取るか、諦めるか

お久しぶりです。まいくです。

 

僕は医学部医学科受験に失敗し、一度は浪人の道を考えたものの自分の性格やモチベーション、経済的な問題などを考えた上で第二志望であった別の国立大学の経営学部への入学を決めました。

 

決断を後押しした夢

 

僕は幼い頃から医療に憧れを抱いていましたがその理由をうまく説明することができませんでした。というのも、医師になるためには超えなければならない課題があまりにも多く、それらを突破するためには相当の覚悟が必要であるにもかかわらず、幼い僕にはどんなことがあっても医師にならなければいけない理由が見つからなかったのです。

 

そこで僕はたくさんの医療系のセミナーやイベントに積極的に参加して医師についての理解をもっと深め、自分が医師にならなければいけない理由を見出そうとしました。そこで僕は僕自身の価値観におきな影響を与える価値観と遭遇しました。

 

「医師の職務は本当に辛いものである。しかしその分やりがいがあるのだ。」

 

この言葉を聞いてあなたはどう思いますか。僕はどうしてもこの言葉に違和感を覚えてしまいました。「医師の仕事は辛いけどやりがいがある」この状況は本当に健全であると言えるだろうか。本来労働とは辛い思いをしたものだけにやりがいという対価を与えるという仕組みで成り立っていただろうか。そんな疑問を抱いたのです。

 

そこで僕は仮説を立ててみました。

「現在の医療は数多の医療従事者の尊い犠牲を前提に成り立っているのではないか。」

そしてこの仮説が正しければ、近い将来必ず「医療従事者の権利や生活をもっと保護するべきだという声が上がる時代が来る。」と予想しました。そしてなぜ現在そのような理想が実現していないのかを考えたとき、福祉としての医療の限界が僕には見えました。

 

しかしながら医療がサービス化してしまったら、経済力次第で健康で文化的な最低限度の生活が脅かされてしまうことは中学生でもわかることです。「どうにかして福祉とサービスのいいとこ取りができないだろうか。」悩みに悩んだ末に僕はついに思いつきました。

 

予防医学を基盤とした地域包括型健康増進コミュニティーを形成しシステム構築によって

リモート診察や終活支援などを個人のバジェットに合わせて自由に組み立てるサービスを

地方を中心に普及させてしまえばいいんじゃないだろうか。

 

こうすることで不健康になってしまった場合福祉で賄う必要があった医療費を健康増進や望む死に方のための費用に置き換えることができ、ある程度国の医療費負担と病人の数を減らすことができ、さらには医師の需要過多にも一定の歯止めがかかるという仕組みです。

 

2つの選択肢

この夢を叶えるためのルートは2つありました。ひとつは医師、もうひとつは経営者です。

説得力を持つために自身が医師になる道を選びましたが、どうやら自分にはハードルが高すぎたらしく、受験には残念ながら失敗。浪人or経営にルート変更の2択で迷いに迷って後者を選びました。どちらが正解であったかはまだわかりません。浪人ルートは沼かもしれないし、経営ルートは落とし穴が待っているかもしれないです。

 

過去の選択は後から自分の手で正解にしなければならない

第一志望に合格する受験生というのは残念ながらそう多くはありません。蹴落とし合いの世界で勝者と敗者は必ず存在してしまいます。それらを全て逃げずに受け入れて、理想だったけどたどり着けなかった世界線より、理想とは言えないけどこらからいくらでもいじることができる今の世界線を愛して突き進むだけだと思います。これが僕の受験勉強の答えです。この記事を最後まで読んでくださったあなたの選択が正解になる日がくることを祈っています。