キャリア教育そんな推す?
まいくです
今日は大学でオリエンテーションがありました。
とても面白い話し方でそんなに面白くない話をされる教授がいらっしゃったのですがその様子が少し面白かったので僕の意見を踏まえながら紹介します。
まあ内容としてはキャリアというものは職種なり職業なりを超えて『お前は一体何ができるんだい』という質問をされたときに『こんな経験があって、こんな勉強をしてきて僕こんなことができます!』って答える時のタネと仕掛けのことだよってことが言いたかったんだと思うんですよね。
『やりたいことがないんだったらできること増やしなさいよー』
『これから先熱いことを調べてできるようになりなさいよー』
みたいなことを言ってました。
要するに自分で自分をどんどんアップデートして需要のある人材になりましょうねってことであってると思うんですけど、キャリア教育ってそんなに有意義ですか?
教育ってそもそも教える側と教わる側の封建制のもと成り立っているわけですよね。教わる側はある程度受動的になってしまうわけです。でもその間実務経験を積んでいく輩もたくさんいるわけじゃないですか。それこそキャリアにつながるような主体的な実務経験を。
ということはキャリア教育の意義というのは生徒の主体性に100%依存しているわけなんですけど、そもそも主体的な生徒というのはキャリアを積むために大学に通って留学をしてインターンに行くのだという信念が既にあるわけです。
整理しますと、主体性のない人にキャリア教育を施すのはコスパが悪い。そして主体性のある人にキャリア教育がどうたら説明する必要はない。
これらの条件から導き出される答えは『今日の話は誰にも刺さってない』ということです。
スピーチというのは特定の需要を持ってやってくる聴衆に対して、彼らが望む情報を情緒たっぷりに見せびらかすことで聴衆を教育して、自分や自分の持つコンテンツへの信頼を高めるために行うと思うんですけど、これじゃ生徒から教授への信頼爆下がりですよね。
で、そんなスピーチをすごく楽しそうに、されていたのでなるほどこれは何か企んでいるなと僕は気づいてしまうわけです。
『試されているんだ』
自分にとって有用な情報かどうかをパッケージだけで見極め取捨選択する技能が試されているに違いない。そう思った僕はすぐさまスマホを取り出しTwitterをチェック。学部生は誰もツイートをしていない。
僕が一番最初にこのスピーチという試験を突破したことを確信しました。
この物語はフィクションです。断じてフィクションです。終わり。